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切っているのかもしれないが、組織にとっても研修員にとってもそれでは虚しい。これほど英語能力の重要性が認識されていながらみるべき成果がないのはいかなる理由によるものであるかは一考の価値があるのではないか。
英語の効果的な学習法について大したことを語る十分な資格は私にはないが、各種の教材に相当な金をかけ、専門学校にも通い、また自宅においても気が遠くなるような時間を英語のために費やした。通勤電車の中では英語に目をさらして絶えずぶつぶつ呟き、乗客に気味悪がられる異様な行為を今も毎日繰り返している(あまり混んでいる時はやらないが)。国際機関でレポート書きを2年半やり、英語検定1級、TOEICは900点に達したが、それでも「タイムズ」紙は日本語のように楽には読めないし、アメリカの映画はものにもよるが字幕なしでは3分の1位しかわからない。その程度の、平均的日本人より少し高いところから見た雑感として参考にしていただければ幸いである。つまらないことでもThose who have a duty to enlighten.であろうから。
 
1.そもそも英語能力とは何であるのか
言葉には読むこと、書くこと、話すこと、聞くことの4面がある。これらを2つずつまとめて「読解(読み書き)」と「会話」にわけてもよいが、この2つは内容も習得のアプローチも全く質が違う。また、会話でも買い物や雑談程度のものと論理的な討議を行うために必要な能力とは別のものである。「どうやれば英語が上手くなるのか?」という質問を発する人はまずこのことが峻別できていないように思う。自分に必要な能力は具体的に何であるのかが掴めていないのである。
「外国に住めば自然にうまくなる」というのは迷信である。10代後半程度になってしまったら文法の基礎がしっかりしていない人間は決して会話もあるレベル以上には上達しない。また、何となく外国で生活しているだけで研究やプロフェッショナルな職業についていなければ読み書きの能力は全くといっていいほど向上しない。日本から語学留学と称して遊びにきて全くものにならない人や、駐在員の家族で「お買い物英語」のレベルを超えられない人はロンドンには無数にいる。
この原因の一端は、言語習得作業のことを「語学」と称して十把ひとからげにしてしまうことにあることにあるのではないか。私が「語学」という言葉から受ける印象は、叙法や統語法中心の古典解釈のようなものであるが、巷では読むことも話すこと
 

 

 

 

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